開示は「義務」ではない ─ 企業価値を決める“意思決定の質”をどう伝えるか(元SSBJ委員・森洋一氏)
目次
◆本対談の3つの要点◆
- 「制度対応」から「経営の実需」へのパラダイムシフト:情報開示を単なる義務ではなく、長期投資家の呼び込みや高度人材の獲得といった具体的経営課題を解決するための「戦略的ツール」として再定義する。
- 意思決定のプロセスを見せる「コレクティブ・マインド」の重要性:開示の本質は過去の数値報告ではない。気候変動や地政学リスク等の不確実な未来に対し、取締役会がどのような「認識・意思・実績・解釈」で意思決定したかという「思考の現在地」を提示することにある。
- SSBJ/ISSB基準を「長期的な勝ち筋」の証明に活用する:制度開示への対応を「コンプライアンスの負荷」と捉えず、自社の持続的な企業価値向上ロジックをマーケットに証明する好機と捉え直す。
◆対談者プロフィール◆
ゲスト:
公認会計士
森 洋一氏
監査法人にて、財務諸表監査、ガバナンス構築支援、サステナビリティ関連の研究・調査および保証業務に従事。以後、企業開示、サステナビリティ戦略支援、GHG排出削減プロジェクトの開発、統合報告およびコーポレートガバナンスに関する支援を行う。 国際統合報告カウンシル(IIRC)および気候開示基準委員会(CDSB)のメンバーとして、設立時から統合報告およびサステナビリティ関連開示に関する国際フレームワーク・基準の開発に参画し、あわせて国際監査保証基準審議会(IAASB)における温室効果ガス排出量に関する保証基準の開発にも関与。国内では、サステナビリティ、統合報告、人的資本開示等に関する政府検討会の委員を歴任するとともに、財務会計基準機構 サステナビリティ基準委員会(SSBJ)委員として、SSBJサステナビリティ開示基準の策定に参画(2025年3月まで)。
聞き手:
Booost株式会社 取締役 COO
大我 猛
元SAPジャパン 常務執行役員 チーフ・トランスフォーメーション・オフィサー。30年以上にわたり、テクノロジーと事業の両面から企業の成長構造を再設計し、持続的な成長を実現してきた。日本オラクル、コンサルティングファーム、SAPを通じて、企業変革およびM&A・PMIを含む経営基盤の再構築を推進。SAPでは、業務効率化中心の価値提供からビジネスモデル変革(DX)へと転換し、サステナビリティ領域における事業創出と自社の中期変革をリード。企業・スタートアップ・パートナーを横断したエコシステム構築を推進し、非財務価値を企業価値へと接続する実装に取り組む。2023年よりBooostの取締役 COOに就任。
1. 企業の意思決定はどう変わったか?「制度の枠」を超え始めた情報開示の役割
大我: 本日は、サステナビリティの制度解説に留まらず、「企業の意思決定がどう変わるべきか」という経営の本質に踏み込んで議論したいと思います。森さんは、ここ数年の企業とステークホルダーのコミュニケーションの変化をどうご覧になっていますか?
森氏: 私が国内外の企業や投資家と対話する中で感じるのは、この10年ほどで「開示」の意味合いが劇的に変わったということです。かつては「コンプライアンス」として開示に取り組むことが主流でしたが、現在は投資家やステークホルダーに対し、自らアクティブに発信していく「実需ベース」の動きが加速しています。ある意味、制度対応型の開示から、会社自身の実際的ニーズに基づいて対話をしていくフェーズに入ったと言えるでしょう。
大我:その「実需」とは、具体的にどのようなニーズを指すのでしょうか。
森氏: 最も大きいのは、機関投資家との関係性です。日本においても「政策保有株式(持ち合い)」の解消がこの10年で大幅に進みました。安定株主に守られていた時代が終わり、企業は自ら長期的な視点を持つ機関投資家をターゲットに定め、その信頼を勝ち取らなければならなくなったのです。
また、意外と見落とされがちなのが「人材獲得」の視点です。最近では、採用候補者、特にこれからその企業を担う優秀な人材が、投資家向けの統合報告書を読み込んで企業のパーパス(存在意義)や将来性を分析するようになっています。開示は今や、資本市場だけでなく労働市場においても「選ばれるための強力な武器」なのです。実際、統合報告書の主要な読者ターゲットとして、投資家と並んで「採用候補者」を明確に据える企業が急速に増えています。

2. 投資にまつわる構造変化:投資家は「過去」ではなく「未来の適応力」を見ている
大我: 開示が単なる企業からの一方向の情報提供ではなく、投資家との「対話」が前提になっている点も大きな変化ですね。その背景には何があるとお考えですか。
森氏:投資家側の変容が非常に大きいです。欧州から始まった「インベストメント・チェーン改革(編集部注:GPIFなどの年金基金(アセットオーナー)から運用会社、投資先企業に至る投資の連鎖全体で、受託者責任とオーナーシップを徹底し、資本配分の質を高めることを目的とした改革)」により、年金加入者から運用会社、企業に至るまで、各プレイヤーがオーナーシップを持って情報を分析し、意思決定に関与するメカニズムが構築されました。
その結果、投資家は企業のガバナンスやサステナビリティ情報をプロフェッショナルな視点で深く分析し、エンゲージメントを行うようになっています。
大我:投資家は今、企業の何を見ようとしているのでしょうか。
森氏: 一言で言えば「長期的な勝ち筋」です。投資家は今、単に「去年の業績が良かったか」だけを見ているのではありません。脱炭素、地政学リスク、AIによるビジネスモデルの変容といった「メガトレンド」に対して、その企業が10年後も価値を生み出し続けられる価値創造ストーリーを持っているか、を見ているのです。構造変化をどう捉え、10年後を見越して「今、どう資源を配分しているか」。そして、その戦略を確実に実行・監督していけるガバナンスが構築されているか。
不確定性が高まる中で、持続可能性を前提条件とした「勝てるシナリオ」とその実行力がセットで問われているのです。また、パッシブ投資家(指数連動型)は株を基本的に売ることができないため、メガトレンドに適応できていない企業に対しては積極的にエンゲージメントを行い、変革を促すようになっています。
3. なぜ日本企業の「ストーリー」は一本の筋が通らないのか
大我: 企業の戦略やガバナンスが重要だという「あるべき論」がある一方で、実務の現場では「開示のための開示」に忙殺され、経営戦略とのつながりが手薄になってしまっているケースも多いように感じます。

森氏: おっしゃる通り、そこには大きな乖離がありますね。日本でも統合報告書を発行する企業は1,000社を超えましたが、実態は二極化しています。一部の先進企業は、レポート作成のプロセス自体を「経営を議論する場」として有効活用されています。しかし、多くの企業では、既存の情報をかき集め、制作会社に任せきりにした「あり合わせの開示」に留まっている現実もあります。
大我:「とりあえず形を整える」ことがゴールになってしまっているわけですね。その壁を突破し、開示と経営を結びつけるための具体的な鍵は何でしょうか。
森氏: これは一つの象徴的な例ですが、私はよく、企業の皆さんに統合報告書に「取締役会議長のステートメントを必ず入れてください」と申し上げます。サステナビリティを含め、企業の戦略方針、リスク管理、ガバナンス、財務・非財務の業績をボード(取締役会)でどう議論し、戦略にどう反映し、リソース(資金・人)をどう配分したのか。そのプロセスを監督機関である取締役会議長が自らの言葉で語る。経営監督と対外発信が連動する体制とプロセスを構築することが、経営・監督と開示の両方をレベルアップさせる基盤になります。
もちろん、最初からトップダウンで完璧に進む会社ばかりではありません。私が10年以上関わらせていただいている企業の中にも、最初は「開示のための開示」でしかなく、経営層の意識も薄かったというケースは多々あります。しかし、現場が情報を集め、分析し、レポートをまとめ、投資家からのフィードバックを得る。このプロセスを真面目に回し続けた結果、社内に「このレベルの話は、経営でちゃんと議論しておかないと外に出せないよね」という気づきが生まれてくるのです。
開示を通じて経営やガバナンスを良くしようという意志を持つ方が現場にいれば、たとえ一歩ずつでも組織は前に進みます。ボトムアップで開示実務を積み重ねていくプロセスそのものが、やがて取締役会の意識共有を図り、経営の質を研ぎ澄ませていく変革の場になり得るのです。
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以下のさらに踏み込んだトピックを詳細に解説します。
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